昭和50年03月21日 朝の御理解
御理解 第41節
「信心は話を聞くだけが能でない。和賀心からも練り出すがよい。」
夕べも此処をしまわせて頂いておりましたら電話が掛かって来た。日田の竹野さんからだった、先日お参りした時にお夢を頂いておった事の御理解を頂いた。それはこう言う事だ、ああ言う事だと理解づけて頂いた。所がその事を思い続け考え続けておるけれどもどうしても解りません。あんまりその事を思い続けておりましたら、肩が凝って肩が凝って、今日はどうにも出来ん様に肩が凝りましたというお届けがあったのです。話を聞くばかりが能ではない。
確かに話を聞いてね心がスキットこうする事があります。所謂悟りが開けるの境地です。心が重い心が苦しい、どうもさっぱりしない、どうしてだろうかと、と言う様な時に御教えを頂いた。それがもう本当にそれこそ憑き物が落ちた様にスッキリ、ああそうだったと言う様な事もある。というて話を聞いても所謂解らない。言わば教えが難しいという場合もあるし、それでそこをああでもなかろうか、こうでもなかうかと思い煩い、あんまり思いよったら頭が痛うなって肩が凝って来たというのではいけません。
明日に道を聞けば夕に死すとも可なり。親鸞上人のお言葉ですかね、朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり。その位に真剣に例えば道を求めておる。もう飜然として解いて頂いた。昨日是ももうー遅かった十時頃だったでしょうかね、私し風呂に入っとりましたら、福岡の戒浦さんがお参りして来ました。あら戒浦さん今日昼もお参りしてきちゃったが、又参って来たと言う訳なんです。それが丁度合楽に御神縁を頂いて、まる一年目当たりますという昨日は。
そして始めて合楽に御神縁を頂いてその日の御理解を頂かして貰うて、本当にもう求めに求めておった事が解らせて頂いて、帰りのバス電車の中で周囲の人が不思議に思うだろうと思う位に感動して泣き々帰らせて頂いたというのです。どう言う事どう言う御理解だったですか、そしたら人力に見切りを付けて、神力に縋れ、人力自ずから湧くという御理解、神様から親先生がその事を頂かれて、其の事を兎に角言うならば人力に、所謂唯一生懸命であれば良いと言う事ではないと言う事。
所謂本当な事が解った時にね、それから言うならば合楽の虜になった様に、おかげを頂いて、一年経った今日、私の少なくとも家庭、家内中の者が、もう全然改まった生活に入っておると言う事は、もう子供達に至までそうで御座います。一年前の事を思うたら、結局遠い道もそれこそ何のその福岡からですからですからね、お礼を申さなければおられない、おかげで段々示現活動もさして頂くようになり。
示現活動と言うても矢張り自分自身が助からなければ、本当におかげを受けた喜びがなからなければ、示現活動が出来ない事も解らして頂いた。おかげを頂いて私に続いて、信心される方、おかげを頂かれる方、合楽に御神縁を頂いて、もうそれこそ大変な喜びを皆さんが、あのー味おうていっておられると言う事が、永い間の信心だったけれども、本当に解らなかったと。是なんかは朝に道を聞けば夕に死すとも可なりと言う解り方ですね。兎に角自分の家族の中が全部変わってしまったというのです。
信心の無かった主人も子供達も皆んな、信心さして貰う様になり、合楽に合楽にというて親子家族中でお参りする様になり、宮崎に居るお母さんもその事を聞いて参られた。もう一辺で合楽の信心に帰依して、現在宮崎地方でもうそれこそ、熊本から、今から宮崎辺りから皆お参りがあっておるのは、このお婆さんがね泊り込み、泊まり掛けで示現活動して回られる。もう本当に有難い。
宮崎辺りからどうでも兎に角私の話を聞いただけでは解らんから、一辺親先生にお目に係りなさい、一辺合楽教会にお引き寄せ頂きなさい、と言われるから皆んなお参りして来る。お参りをして来るともう今毎日、二回三回電話が掛かって来るです。宮崎の方からお礼の電話です。もう本当に奇跡的なおかげですね。此処でお話を聞きながら長年の病気が治る。話を聞いてああそうだったと、例えばこの前の月次祭に参って来とりましたですね甲斐さんという人が親子三人、ああ兄弟三人でお参りしとられます。
家の事のお届けをさして頂いとった。相々傘のお知らを頂いた。そこに不平不足があってはおかげにならん。それこそ愛があれば傘一本の下に二人が並んでおっても楽しいものだ、有難いものだ、愛がないからだと、愛があれば一本の傘の下でも有難いのだと。さあそれから本当にそうだと解って、只有難い有難いで帰らして頂いたらもう今度は自分の願うておった様なお家が人から言うて来て頂いた。
けれどももう是で満足しておりますけれども、勤めも近いし家も私共の理想に一番近い家をそういうて来て頂いたんですが、というて昨日電話が掛かって来た。それはおかげを頂いてた。そんならそれに替わらして頂いたら宜しかろうと言う事であった。不平不足に思うとる時には幾ら拝んでも頼んでもなかった。だからもう是で良いと思うた。確かに傘一本の下にそれこそ相々傘でもです、愛があるから楽しいのだと、有難いのだ窮屈な事なんかは、いやむしろ窮屈な方が有難い事なって来る程しの事がです。
解って心が飜然として、開けて来たそこから言わばおかげの道も又開けて来た。その前の月次祭に矢張り、戒浦さんのお母さんの導きで参って来た方なんかもそうであった。一晩泊まって矢張り月次祭を頂いて、月次祭が始まる前に此処で医者が食べてはいけないと言う物をお食事の時に出させて頂いて、此処でお下りだからというてそれを頂いた。そして便所にやらせて頂いたら、それこそ長年の苦しみがもう便所の中で一辺に取れてしまうと言う程しのおかげを頂いた。
そういう例えばです、ならおかげからおかげへ広がって行くと言うのも一年前に合楽に御神縁を頂いた、御教えを受けた、長年の信心させて頂いとったけれども、そして今の金光教の言わば信心では、只助からないといって、信心しとるからやっぱり止めてはおらんけれども、それは浅く広くというか、金光教の事は何でん知っとると言う人は沢山出来たけれども、助かりに繋がっていないというのである。
頭で解り心でこなし五体、体でそれを血に肉にして行くというおかげを受けなければいけません。お釈迦様と釈雨法(しやにほつ)の話があります。知恵第一と言われる、釈雨法か毎日毎日、くる日もくる日も腕挫ぬいてず-っと深刻な顔をしておる。お釈迦様はその人が言わば、哲学的な方ですから、お弟子達もやっぱりそういう人達が多い。愈々深刻にそれこそ竹野さんじゃないけれども、頭が痛うなり、肩が凝る所じゃない、顔色まで悪くなる。そこである日お釈迦様が釈雨法を手許に呼ばれて。
何をその様に、考え深刻な顔をしておるのかと言いながら、懐中から手拭きの様な物を出された。ハンカチよ烏名物を出された。そしてそれを唐結びに結んで釈雨法の前に出された。是を解いてみよととこう結びを解く、又お釈迦様がそれを結ばれる、又解くそれを三回四回、五回と繰り返している内にです、知第一と言われる程の釈雨法の事ですから飜然として悟ったというのである。
例えばその唐結びに結んであるその、手拭きの隅と隅を結んであるそれをね、只眺めておって腕挫ぬいておって解ける事はないんだ。矢張りそれを手を下すさなければならない。そしてそれを解いて始めて解けるのだ。話を聞くだけが能ではない。和賀心からも練りだせと言う事は、私は和賀心で考え抜けと言う様な事ではない。頂いた難しい今日の御理解は難しかった。けど訳は解らんなりにでもです、それを矢張り解くという、解くという言わば手をかけなければならん。
頂いて教えの意味の事は解らんけれども、兎に角お釈迦様が教えて下さる日々の御教えをです、行ずる以外にはないのだと悟った訳です。だから飜然としてその悟った。悟ったならそれを行の上に、家業の行と申しますか日常生活の上に現して行く。そこから始めて言わば、心で解るとか頭で解るとか、心でこなすとかと、言う事と同時に体で所謂わかる、言うならば教えはもう、頭ーーから行かにゃいけんという事。そこに愈々それが血になり肉になる。もう理屈じゃない。
有難いという心はね、こうしてああすりゃという、有難い話を聞いてああ、有難いと思うて有難涙がこぼれてもです、それまでのもの、何処から湧いて来るか解らん有難さと言う物がです、矢張り身に付いて来なければ、それが血に肉にならなければ本当なものじゃない。私共が所謂求道心、道を求める心という、所謂道を求めて止まない。矢張り求めよさらば与えられんで、求めておるとです何時かはそれが解る。
又は飜然としてそれを悟る事が出来る。それを血に肉にする為には、行の上に現すより他は手はない。そこからいうなら、戒浦さんじゃないけれども、少なくとも私の家庭だけは一年前と一年後の今日と言う物が、大変な変わり方をして、一日一辺、もう兎に角親先生の話が出らない事はない。御理解の事に付いて話合わない事はないと言う程しに、家庭中がおかげを頂いたら主人の仕事の上にでも、始めて日本一と言う様な成績を会社が上げる事が出来た。
先日も二度目の言わば日本一のおかげを頂いた。今度の場合は実際は三位であったそうです成績が、けれども他の部下の人達に自分の出来高を全部譲ってやった。だから三位であった。けどそれを皆んな自分の物にすれば矢張り日本一というおかげになった。今までかってない事であったと、言う事も昨日お礼お届けがあっとりました。教えが血に肉になっ行きよる。お道の信心は頭で解り、心でこなしてもそれがおかげに繋がらなかったら、本当の事ではない。
それがおかげに繋がる程しの言わば解り方、それにはまあ理屈を言うても良いけれども、理屈が解る事も有り難いけれども、解っても解らんでも。とにかく昨日日田の綾部さんのお導きで参って来た、時々参って来る方があるのです。どうしたならば信心が解るだろうか、あなたのごとを年に何べんか位参って来て解るはずはない。先ずはこの足でわからせにゃいかんがと私が、まず此処に通うて来なさらにきゃ解らん。なら通うて話を聞くだけが能ではない。
それから今度は又それを所謂頭で解り、心でこなし五体でそれを行じて行く所に、何時の間にか有難くなって来る。所謂体で血に肉にして行くおかげを受けた訳です。昨日は佐賀の松永さんですか、公子さんの妹が嫁入っとる所、佐賀の方達が二十五名親戚の方達が此処で、あちらの赤ちゃんが亡くなりましてから、五十日祭が此処でそれこそ盛大に行われました。殊に親戚の方達が本当に何というか純というか、素直というか、十日、十日の句日祭もこちらから参ります。
言うならばお道の信心でする葬儀又は句日祭が余りにも行き届いたお祭りを拝まして頂いた、まーーだいうなら生まれて四ヶ月目に亡くなった、小さい赤ちゃんです。どんなにもう兄弟、叔父さん叔母さん達には皆んなせんでもまあー気持ちだけでしてもよい位の事ですねいうなら、所がそのお霊を大事にするというその夫婦の者の言わば真心がです、矢張り親戚の人達にも通じる。
お父さんお母さんなんかって言うのも全然、仏壇もない位ですから全然無神論者であったげな 所が今度、孫が亡くなってから此の方と言う物は、本当にそこに霊の世界がある、神様が御座ると言う様なものが何とはなしに朧気ながら解って来た。昨日でも私は、始めての方達にあんなにゆっくり、此処で御理解を聞いて貰った事はない位に、その御理解が入って行く、言うならば、受け心が言うならば違う それも例えばなら孝子さんの婿でありますのが、表まで自動車で乗せて。
家内を乗せて来ても、中にこうこうやって(手をふる所作をしながら)入らんち言いよる。それがなら子供の病気でおかげ頂いて一生懸命お縋りさせて頂いが、お縋りをした甲斐もなく言わば亡くなった。所が亡くなった時点から信心が熱心になったと言う事です。本当に霊様の喜びというか、子供を亡くする事は悲しい事であったけれどもです、ね。けれどもその恵子ちゃんと言ってましたか、恵子ちゃんのおかげでね、言うならば本当の幸せへの道が開けて来る。
今までは例えば働き、金さえ有ればと言う様な、例えば十七億からの財産を残して亡くなった老母の話が、昨日でしたかテレビであっとりました。東京のもう大変なもう財産を持ちながら、それこそお茶も飲み切らんで、それこそ始末倹約をして貯めて、例えば歌舞伎俳優の板東妻五郎さんなんか、勿論、有名人で大変な名優でした。所があのーフグに中毒して、あっと言う間に亡くなられた。
亡くなられた迄はいいですけどもね、さあその後の言わば財産争いが、大変それこそ浅ましい事になって来た。有名であればよいと言う事でもなからなければ、沢山な金やら物やら財産があるから幸せではないのだと、人間の幸のいうならば、条件としてはね、地位も要ろう言うならね、名誉も要ろう、金も物も要ろうけれども、それは何処迄も条件である。
肝心要のそういう条件が足ろうて来る芯の所が助からなければならない。その芯の所を金光教の信心によって、いうならば可愛い子供の亡くなったそこから信心が言わば解りだした。所がどう言う事になったかというと、それこそ家族だけではなくて、親戚の人達までがです、金光様の信心を認め解る様に段々なって来よるのです。昨日私一緒に御直会を頂きましたがそういう感じなんです。
そういう働きを現し得る私は信心を頂きたい。それには戒浦さんじゃなくて、少なくとも私が助かった、私の家族が一年前と一年後の今日と言う物はいわば変わってしまった。子供達に至までがそうである。言うならば、頭で解り心でこなしいうなら、体で血に肉にして行くという、生き方でなからなければ本当の意味に於いての示現活動も出来ないと言う事になります。どうぞ一つ信心は話を聞くだけが能ではない。
和賀心からも練りだすがよい。練りだすと言う事は、私は体で血肉にして行くと言う事だと思います。只、心でこなす、こなしが出来た所でです飜然としてスキットしたもの、そういう意味合いに於いてはです、明日に道を聞けば夕に死すとも可なりと、おかげになるのですけれども、そういう心が開けたら、金光様の信心は絶対おかげに繋がらねば、そりゃ本なもんじゃと私は思うです。
其処で矢張りそれを生活の言わば現場にそういう信心を現して行く内にです、何時の間にか血肉になってある証拠に何処から湧いて来るか解らん有難いというものも身に付けて行く事が出来る。そういう心を持ってです私は練り出すという事はおかげを練り出して行くと言う事だと思わして貰う。解らん考えるそして頭が痛うなったり、肩がこったりと言う様な所からそれを一つ行の上に現しておかげにして行かねばいけんですね。
どうぞ。